餓気
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先日記した「涅乃丞的言霊考_其の弐」で、カルマ言語について説明しました。「〜するべきである」「〜でなければならない」と言う思考は仏教的観点から眺めると「執着」「固執」の念であると言えます。

この念は「むさぼりの気持ち」であり、涅乃丞は、このカルマ言語から誘発されるネガティブな念を「餓気」と名付けました。

「カルマ言語」を発し続けているとそれがやがて「餓気」に変化(へんげ)します。

餓気の特徴を下記に示します。

・餓気は輪廻の種となり後世に受け継がれます。

・餓気は不幸の要因となる。

・餓気は病気の因子となる(病気は気からと言う喩え)。

・餓気は自我と融合し同一化しやすい。
→餓気はネガティブに固執した念(想い・思考)であり、これはその人の特性・性格として定着していきます。例えば「みな俺に従うべきだ」というカルマ言語を思考として保持し続けるとそれは人格化し「頑固な性格」としてその人に宿リます。餓気がネガティブな人格として深く心に寄生したと云えます。

・餓気は筋肉に宿る。
→特に頭の筋肉(頭痛の原因)、肩の筋肉(肩こりの原因)、胃、目の筋肉(眼痛、目の疲れ)、耳(難聴の原因)、腰(腰痛の原因)などに宿りやすい。上記のような症状が続くようならそれは餓気が要因となっている可能性があります。

・餓気は運気を遮断する。不幸を導く。

・餓気は程度が過ぎると「餓鬼」と変化(へんげ)する。
→餓気は人格として定着すると上記しました。この度が強すぎると餓気が本来の人格を凌駕し基本の人格をも変えてしまい人が変わってしまったようになります。貪りの心が人格を支配しその結果人間性を失い、餓鬼の姿に妖変します。

以上、何気なく使ってしまったカルマ言語が「因」となり、それが餓気を産み、性格をゆがめ、体調を悪化させ、運気を落とし悪運を呼び、最後に自己をも失い餓鬼と変化(へんげ)する。

おそろしいスパイラルですね・・・。

この不幸な人生の屈曲は、さりげなく発した「言葉」が全ての源です。

言葉は「言霊」であることを実感していただけたでしょうか?

皆さんも日頃の言葉遣いには気をつけましょうね。

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